大阪淀屋橋界隈の「大同生命ビル」。イケフェスで行ってみた。




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イケフェス、今回は大同生命ビル。

今年のイケフェスのシーズンになって、結構有名な大阪市内のビルが一般開放されていて 中に入ることができる。そこで今回の大同生命ビル、企業の社長さん方相手の保険やさんですが、企業のリスクマネージメントの一端を業にしている。その歴史も面白いもので 大同生命の歴史的資料も展示されていた。こんな大きな会社なら ほぼ、大阪の歴史の一端にも値するぐらいのものでしょう。


■大同生命ビル


■大同生命玄関付近の像。

広岡浅子は京都三井の出。

この企業の創設に携わった女傑、広岡浅子は有名な企業家でもある。彼女は京都三井の娘で、17歳の時の大阪の広岡家のに嫁ぎ、広岡家の加島屋は大阪でも有名な豪商であったが、夫は日々大名遊びをし、浅子は、その当時炭鉱業に関係しており、工夫たちにピストル持参で接していたそうだ。また、加島屋は、加島銀行を創設、事業を広げていく。浅子はまた、女子高生の教育にも関心を持ち、成瀬仁蔵に共感し、日本女子大学の創設にも携わっていく。


■中に入るとまたまた、像。


■天井が素晴らしい。


■広岡浅子の像。

広岡家、加島屋は、炭鉱から銀行・保険と手を広げていく。

広岡家では、銀行・保険の事業を広岡正秋が代表となり、大同生命創業までの歴史となっていく。浅子の夫は信五郎で分家の養子ではあるが、浅子の娘むこが大同生命の2代目社長をしている。その後、正秋の子息広岡家10代目が、大同生命の3代目の代表者となる。浅子は、夫の死と共に娘むこに社業を任せて、その後は、教育に力を入れていくことになる。時代背景や家庭環境のバックアップはあるにしろ、この時代に女性が活躍するとは、すごい女性というか、三井の血というか、すごい人ですね。


■このステンドグラスがきれい。


■広岡浅子

広岡浅子は、女性教育に力をいれた。

1914年に静岡、御殿場で開いた夏期講習会には、市川房江も参加していたそうで、いわゆる女性が活躍するための勉強の場を広げていった人、この時代にです。まだまだ、男尊女卑の社会ではあったろうに、企業成長における実績をもとに女性としての力を実証し、それを後世にも受け継いでゆき、社会においては男女平等を訴えていたのでしょう。それが現在にもつながっているのでしょう。


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